合気道とは?

合気道とは、植芝盛平先生を開祖とする、日本独特の武道です。 開祖植芝盛平先生は、起倒流柔術、柳生流柔術など古くからの武術を修めましたが、特に武田惣角師より大東流合気柔術を学び、これに決定的な影響を受け、これがその後の合気道の基礎となりました。 しかしながら、その後の修行により、従来の勝敗を競う武術の次元から、それを超えた求道的な世界へと昇華し、高い精神的な哲理を生かした心と体の鍛錬法として、「道」の世界へと完成させ「合気道」となりました。

合気道は、その本質において武術としての極めて合理的な側面を持つものであり、生まれつきである程度決まってくる「運動神経」「体力」など年齢に左右される要素とは 全く次元の違う理を持つものです。 従って、力のない人・体の小さい人でも生涯を通じて十分に向上発展ができる武道です。 体の理、術の理が本当にわかってくれば、さらに心の働きまでを含んだトータルでの我々自身の理がわかり、そうして初めて植芝大先生の「宇宙の秩序(=自然の理)に一体となる」ことの意味がわかってくると考えています。

鹿島神流について

鹿島神流は、流祖を松本備前守政元、後見を国井景継として、戦国時代に鹿嶋神社(茨城県鹿島神宮)で成立した、日本でもっとも古い武道のひとつです。 鹿島神流18代宗家・國井善弥師範は、今武蔵と評され「他流試合勝手たるべし」としながら生涯不敗との伝説を持っています。 鹿島神流は、剣術のみならず抜刀術、柔術、槍術、薙刀術等の総合武術です。 当道場では、剣術・抜刀術の研究を中心に体作りと理を学んでいきます。

型稽古について

日本の武術の稽古法というものを、もとにたどってみてみると、剣術、柔術いずれも型稽古が主な稽古方法となっています。 ところが、現代武道で型稽古を主としているものは、合気道を除いて他にないといってよい状況です。 剣道の試合形式の稽古、柔道の乱捕り、空手のフルコンタクト、あるいは寸止めによる組手稽古、これらの稽古方式による武道が今は主流といってもよいでしょう。

これは何故でしょうか? なぜ型稽古に替わって、試合形式が主流になったのでしょうか? 型による稽古方式に何か問題があったのでしょうか?

ここでは、それぞれの稽古方式の長所・短所を明らかにしながら、今おこなわれている稽古の意味を考えてみたいと思います。

●剣道

剣道の防具をつけての打ち合いは、江戸期に始まります。 もともとは、刃引きもしくは木刀による型稽古でした。しかし、木刀でも、ちょっと当たっただけでそ の部分は腫れ上がります。当たり所が悪ければ、命に関わりかねず、なかなか思い切っては打ち合えないものです。

そこで登場したのが、袋竹刀です。 これは、武士が旅をするとき、刀を保護する目的で鞘にかぶせてあった馬の皮を使って、この中に丸竹を割った物を挿したの が始まりと言われています。 これを使用することにより、安全に、思い切った打ち合いが可能になりました。 このときはまだ素面・素小手。そして袋竹刀を使っ たとはいえ、やはり型稽古には変わりありませんでした。 どうしても、自由に打ち合うという面からは制約があり、実戦における攻防の駆け引きといったような 部分をシュミレートするには、力不足だったのです。

そこで登場したのが防具を着けての自由な打ち合いです。 この方法はゲーム的面白さもあり、幕末の千葉周作の玄武館のように随分大勢の門弟を集め、その後の 剣道の主流となりました。 しかし、千葉周作は北辰一刀流の開祖であるように、一方で一刀流の型稽古もきちんと行われており、「型稽古」と「防具をつけての 試合形式」は、稽古方式として盾の両面をなしていました。 手の内を作ることや剣の理合・術理といった根本を学ぶには「型稽古」が必須と考えられていたのです。 ですから、「防具をつけての試合形式」の稽古を不要と考え、「型稽古」のみで達人の域に達した人もおりました。

しかしながら、明治維新以降の近代化・西洋化の波の中で武士が力を失い、同時に従来の弓、槍、刀といったものが戦いの武器としての存在価値を失っていた中で、主として軍隊、警察といった明治政府の国家建設とリンクしながら剣術各流派が生き残っていきました。 その上でこれら諸流派の統合という名目で剣道という名のもとでの一本化がはかられました。 「防具をつけての試合形式」はともかく、「型稽古」は諸流の固有の部分ですので、そのごく一部が「日本剣道型」として、まさに形としてしか残らざるをえなくなりました。 こうして、現代剣道からは「型稽古」の部分が実質的になくなっていってしまったのです。

それでも戦前までは中山博道の有信館のように昔からの流派を引き継ぎながら、現代剣道を行っていたところもあったため、きっちりとしたものがかろうじて 残っていたと考えられます。 しかし、現在の剣道の中においては全く省みられていないようにみえます。 それにより、“剣で斬る”というもともとのベースから 生まれてきた術理の部分がその存在価値を失い、現在では試合ルールの中で有用な部分のみを磨く事になっているように見受けられます。

●柔道

講道館柔道は嘉納治五郎が若年時、起倒流、天神真楊流を学び、この中から原理を抽出してまとめあげたものです。 嘉納治五郎の教育者としてのバックボーンによる信用と、草創期の実力の有る門弟に支えられ、社会から認知され基礎が築かれました。 草創期の実力有る門弟は、もちろん講道館柔道ができる前から柔術を修行していたわけで、その意味では柔術諸流派の伝統的なやり方の中で育った人たちが支えてきたともいえます。 嘉納治五郎は、柔道を教育の側面から考え、体育としての価値付けを強調しました。 その為、柔術の武術的要素としての危険な部分を除外し、乱捕り主体の試合を重視する方向で発展しました。 起倒流をベースとしての「柔道型」は今に残っていますが、高段者が演武として時折見せるにとどまっているように見えます。 従って、業の精妙さを磨くという、時間と手間 ヒマががかかる部分に対する関心ははなはだ薄くなっており、試合で勝つためにどうするか、という観点のみから、即効性のある方法に関心が特化しているように思われます。

●空手

空手は、大正年間に沖縄から船越義珍が日本本土に紹介したのが初めと言われています。 このときは一人で演ずる型のみでした。 当初は「唐手」と称されており、「空手」となるのは、昭和四年に船越義珍が改称したのに始まると言われています。 その後、船越義珍は、普及のために約束組手までは稽古方法として工夫したようですが、自由組手あるいは空手の試合化は嫌っていました。 しかしながら、後発ゆえに、このような地味な稽古では人が集まらず、柔道、剣道の影響で 試合化(寸止め)へと変わっていきました。

フルコンタクト方式は極真空手からです。 「一撃必殺」がうたい文句の空手が、本当にそうなのか、という素朴な疑問がもともとの原動力になっているように思えますが、タイのムエタイやキックボクシングといった興行としての試合への関心の強さから、現在主流ともいえる様相を呈しています。 ただ、試合が先に来ると、勝つための実効性のある方策を短期間で獲得したいと考えるのは自然です。 そこで、スピードとパワーという生まれつきのナチュラルな部分を鍛え上げていくのが、もっともわかりやすいやり方ではあります。 一方、フルコンタクト空手の人達からは、一定以上の体格差というナチュラルな部分は、結局いくら練習を 積み重ねても克服できない、という話を聞きます。 そこで生まれてくるのが、体重別という考え方ですが、現在の柔道も同じロジックに陥っているようです。

●武術の原点に立ち返る

しかし、武術の本質から考えると、この体重別という考え方はどうもおかしいと思います。 もともと戦いの場で体格差は、圧倒的な意味を持っていただろうと考えられます。 しかし、命を懸けた場で体格など生まれつきのもので常に勝敗が決するのではどうしようもなく、だからこそそこをなんとかしようとして必死で編み出していったのが武術であり、身体技術である訳です。 ですから、昔の柔術の達人には身体の小さい人が多いのは、最初から力で勝負という発想でなく、何とか体の小さいというハンデキャップを乗り越えていこうと必死で次元の違う理を追求していった中で、微妙な身体用法といったものを発見していったからだろうと思います。 そのエッセンスを何とか残そうとしたところに“型”というものが生まれてきた由縁があるのでしょう。 ですから、それを後から学ぼうとすると、なかなか一朝一夕にはいかないもので、即効性の対極にあるものです。

組み手あるいは乱捕り形式の稽古というのは、もともとは「型稽古」の基 礎の上で、それを補う必要性から生じてきたと考えられます。剣の組太刀をみてもわかるように、「型稽古」はかなり厳密な条件設定のもとに行われるのが普通で、相手の状況が常に変化する実戦とは意味合いが異なると考えてしかるべきと思われます。 「型」は形ですが、ある状況下で必然性を待って生じてきたものを、エッセンスとして凝縮した形が「型」として確立していったものだろうと考えます。

つまり、形は結果として顕れてきたものであって、けっして形が先にあるわけではありません。 しかしながら、「理」を学ぼうとするにあたり、何か形がなければ手懸りが無いため、もっともその理を現している形が「型」として残されている、と考えます。 従って、大事なのは「型」を通してその奥にある「理」を掴むことです。 決して外形を正確に“真似る”ことではありません。厳密にシチュエーションを設定すれば、結果として同じような形になるだけです。

「理」というのは、技としての術理だけでなく、それを体現する体にも理がありますし、お互いの位置関係にも理があります。ですから、動けば“業”になるといった植芝盛平開祖の言葉は、その通りだと思います。

●合気道

合気道の稽古方法の中で考えてみましょう。 合気道の稽古方法は「型稽古」なのでしょうか? 合気道の稽古方法を伝統的な古武道の「型稽古」というには、あまりに設定が曖昧です。 かといって自由組手でもありません。 その意味で、古武道の稽古方法との比較で言えば、ちょっと異質にもみえます。 それが、一方で馴れ合い稽古という合気道批判を生む原因になっています。 ですが、やりようによっては、従来の「型稽古」の問題点を克服する稽古方法にもなりうる可能性があると思います。

私見ですが、初心の段階の稽古では、状況設定をかなり厳格にしたほうが良いのではないかと思っています。 稽古を通じて必要な 身体感覚を身に付けていくのが狙いな訳ですから、多少なりともその点を理解していって、その上で相手に応じて動いていけるように、稽古方法を変えていくの がベターだと思っています。

「どう動くかは、相手が教えてくれる」、という原理に立てば、きちんとセンサーが働いて、しかも崩れずに動ける身体になっていなければいけません。 そう いった身体に練っていくのが稽古であり、さらに自由業として技を施す稽古を取り入れれば、それが自由組手のようなものとも言えます。 その意味で合気道の稽古方法には、伝統的な型稽古でしか身に付けられない部分と乱捕り形式でしか身に付かない部分の両方を、うまく整合させていく可能性はあります。 ただ、その 為には、一段と稽古方法に工夫が必要で、試行錯誤をしているのが現況です。 私はなるべく原理的なものに立ち返って稽古するのが大事と考え、その意味であまりバリエーションには走らないつもりでおります。

以上